要するに、大人こそノートを作るべきだということですよね。
当たり前の結論を掲げている本が齋藤孝『頭のよさはノートで決まる』(だいわ文庫、2020年)です。だけど私はその当たり前のことを、今まで全然やってこなかったんじゃないか、とわれながらびっくりしています。
へばすちゃんです。
目次
整理できなければ覚えられない、忘れてしまう、思い出せない
子どものころからノートを作るのは苦手でした。そのためテストの成績がガクンと落ち込む、というわけでもなかったので、それを良いことにサボりまくったように記憶しています。もちろんノートを作ることで大いにプラスになるような教科、たとえば数学や英語の成績はお察しのレベルに落ちていきました。それでも好きな教科、国語や社会が苦手分野の低空飛行をカバーしてくれたので本人的には見て見ぬふりだったのでしょう。そして大学に入れば、面白そうな分野だけつまみ食いしていれば済みました。この結果、ノートを作れない大人が出来上がったわけです。
そして大人になった方はご承知の通り、大人になっても「もう勉強しなくていい」なんてことはありませんでした。就職しても、転職しても、どんどん多方面の知識を覚えて理解しなくてはいけません。昨今の労働者に対する要求は天井知らず、凡人はますます「ものを覚えられなく」なっていきます。覚えることが多すぎるのですよね。文句を言っても始まらないから詰め込みはします。資格取得のための教科書はどんどん積みあがっていきます。試験のたびになんとかやりすごし、用が済んだら部屋の脇によけておいて放置。当然ながら一度覚えたこともたちまちのうちに忘れてしまい、「あれ、どこで見たんだっけ?」と思ったことも数知れず。
認めましょう。私は物覚えが悪いのです。高校生くらいの時にはイキっていました。自分は暗記力がある、などと。とんだマヌケやろうです。イキったあまりに根本的な間違いをおかしていました。物覚えにも限度というものがあるのだから、それをカバーする技術を準備しておかなくてはならないのに、面倒くさがって放置するという間違いを。
ノートの作り方を教えられたことはあっただろうか?
うーん、しかし人のせいにするつもりは全くないのですが、そもそもノートの作り方を指導されたことはあったかな?とは思います(いや、それも私の物覚えが悪くてごっそり忘れてしまっているだけかもしれません)。じっさい今Amazonをサクっと検索してみると、それなりにノートの作り方に関する参考書が出てきます。小中学生向けのノートの作り方に関するものも。おお、子ども時代にこれらの本に出会っていたら…などと泣き言を言っても仕方ないのです。今から始められるのだからやるしかないと、大人になった今だからこそ切り替えられるようにはなりました。
前のめりになってノートを作るきっかけが、この本には隠されている
そんなわけで手に取ったのが齋藤孝『頭のよさはノートで決まる』(だいわ文庫)、2020年(初出2017年)です。おもに大学生や社会人向けの教育系マニュアル本ベストセラー作家として知られている著者の本は、これまでにも何冊か手に取ったことがあります。定番ネタとなっている「三色ボールペンを使い分けて情報の重要度ごとにインデックスをつける癖を身につける」提案は、もちろんこの本でも健在です。結局のところすべてのマニュアルでまったく異なる手法を紹介するのではなく、本のタイトルにかかげたポイントを軸にして、齋藤流の手法をカスタマイズしているんですが、だからこそわかりやすく飲み込みやすい。
著者の本を一冊でも読んだ方は「なんか前にもこのテクニックを見たことあるな」と思うでしょう。しかしキモは個々のテクニックではなく「なぜノートを作るのか」というモチベーションを作り上げるための理由を紹介することに、この本の前半のページが割かれている部分です。具体的に言うと1章と2章ですね。残りは個々のテクニックを紹介している部分ですが、むしろこっちは軽く流し読みしてもよいかなと感じます。でも話し方やディスカッションの方法など、はっとさせられる箇所も少なくないですね。個人的には以下の部分でひやりとしました。
「話すのがヘタだと感じている人は、話す練習の前に、書く練習をしたほうがいい」(同書151頁)
結局のところ、ノートを作るクセを持っておくことで、忘れっぽく物覚えの悪い人間が記憶補助装置という武器を持つことができる!ほかならぬ自分自身を安心させる!という「理由」は、わかりやすすぎるほどにわかりやすいメリットです。よく整理されたデータに一度目を通してさえいれば、混沌とした脳内から記憶を引きずり出すことも簡単なのですから。